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パノラマだけの診断ではリスクが大きい?

大阪大学大学院歯学研究科 顎口腔機能再建学講座歯科補綴学第二教室 招聘教員
同大学 先端科学イノベーションセンター 招聘教授
株式会社アイキャット 代表取締役CTO
十河基文

 前回の「インプラント最新情報」では、愛知学院大学歯学部歯科放射線学講座准教授、同大学歯学部附属病院口腔インプラント外来科長内藤宗孝先生によって「インプラント治療における画像診断」という内容でご執筆頂いています。今回はそれらの画像診断の中でも、今やインプラントの術前診断では必須不可欠となりつつある「CTによる診断」に的を絞って書いてみたいと思います。

■判例からみるとCTは必須の時代?

 日々診療を行う中で、裁判は避けたいものです。日本のインプラント治療における“下顎管麻痺”の判例として、平成15年の地裁判決が挙げられます1~3)。インプラント埋入後、下唇ならびにオトガイ部の麻痺が発生した。その事故に対して約7000万円の損害賠償請求の事例です。6年の審議の結果、「麻痺は歯科医師のミスである」との判断によって約700万円の支払い命令が下りました。しかし、本判例のポイントはそんな金額ではなく、鑑定人がCT撮影によってインプラント体と下顎管の接触関係を判断したことにあります。
 日本における裁判は、過去の判例を紐解いて判決が下されることが一般的です。そのため、もし不幸にして先生方の患者様に下顎管麻痺が発生した場合には、本判例が紐解かれることでしょう。そして、事前にCT撮影を行っていなければ「なぜCT撮影をしなかったのですか」と先生方の責任が追及されるかもしれません。
 そんなリスクを回避するためにも、CTによる診断が重要となります。最近では歯科領域に特化したCT装置として、歯科用コーンビームCT(以下、歯科用CBCTと略)が日本国内でもかなり販売されるようになり、今や空前の歯科用CBCTのブームともいえます。一方、医科領域で用いられるCT(以下、医科用MSCTと略)は装置1台で全身をまかなっていますが、インプラントに特化した撮影プロトコル4)を用いれば顎骨診査にも応用することが可能です。

■世界の3分の1の医科用MSCTがある

 歯科用CBCTは技術的に非常に優れた装置であっても、診療用チェアーユニットの何倍もの価格であるため簡単に手が出るものではありません。しかし、幸いなことに国民皆保険制度の恩恵といわれていますが、日本には世界の約3分の1の医科用MSCTが存在します5~7)。そのため、患者様に1~2時間ほど電車やバスでの移動をお願いすればCT撮影が可能な国であり、歯科用CBCTの購入にすぐに手の届かない先生方でもインプラントの術前CTの撮影ができる唯一の国といえます。

■このパントモをどうご覧になられますか?

 図1のパノラマフィルムをご覧になって、先生方はどうご診断されるでしょうか?症例は、右側下顎6、5番欠損に対して通常のインプラントの埋入を行い、さらに近心の右側4、3番は抜歯即時埋入をする症例です。


 6、5番の欠損部は下顎管まで十分な距離があり問題は見当たりません。また、4、3番も抜歯後は初期固定を得るために抜歯窩よりも少し深くドリルをする必要があるものの、両歯はオトガイ孔よりも前方にありかつ下顎の下縁までの距離が十分あるため安心して抜歯即時埋入が可能な症例といえます。
 ただ目を凝らすと、下顎骨全体が黒く診えることが少し気にかかります。もし、本パノラマがフィルムであれば「現像液が古かったのか?」と思ったり、また「フィルムが感光していたのか?」と思われるかもしれません。また、骨粗鬆症などを常に気にされている先生であれば「骨粗鬆症のため、骨がすう粗で黒い影を作っているのではないか?」と想像をされ、軟らかい骨質に対しての注意事項としてインプラントの形状や表面性状、ドリルの太さ、治癒期間の延長などの配慮をされるのではないでしょうか。

■CT画像からわかったこと

 しかし、本症例をCT撮影してみて驚かされました(図2)。先のパントモにおける黒い部分の原因はフィルムの問題でもなく、また骨粗鬆症が原因でもなく、オレンジ色矢印で示すように舌側に大きな骨の陥凹が存在し薄くなった骨が黒く表現されていることがわかりました。この骨形態をパントモ画像から想像ができるでしょうか。「触診によって診断することが可能である」とおっしゃる先生もいらっしゃると思います。しかし、顎舌骨筋やオトガイ舌骨筋などの筋肉組織の多い本部位において明確な触診が可能かについてはいささか疑問が残ります。 
 また、40年以上の歴史を持つブルーネマルクシステムでは、これまではCT撮影をせずにパントモ画像からの診断だけでした。そしてオトガイ孔間のインプラント埋入では問題はないとされてきたため、本症例の3番4番の抜歯即時埋入部分でも「初期固定を得るために抜歯窩よりも深くインプラントを埋入しても下顎下縁までの距離が十分にあり、何ら問題はないはずだ」と考えられることでしょう。そのため、臨床経験の豊富な先生であってもCT撮影をしていなければ本症例においてはドリリリングを深くしてしまい、結果、舌側に大きくドリルを穿孔させてしまうはずです。

■下顎骨舌側への穿孔は死につながる

 下顎の舌側にドリルが穿孔すれば、どんなことが起こるでしょうか。下顎骨舌側には外頸動脈の枝である「舌下動脈」ならびに「オトガイ下動脈」が存在します(図3)。

 穿孔したドリルは回転しながらこれらの血管を巻きつけて引きちぎってしまうことでしょう。そのため、引きちぎられた血管はゴムのように外頸動脈近傍まで縮んでしまいます。また、手術中は浸潤麻酔によるエピネフリンで血管が収縮しているためすぐには出血しないものの、手術了後に麻酔が切れ出すと患者様から「少し痛い感じがするのですが」とわずかな違和感を訴えられることでしょう。まさか舌側を穿孔しているとは思わないため、鎮痛剤を内服していただき「少し様子を見ましょう」と言ってしまうかもしれません。もしそのまま血管を切った状態で帰宅をさせてしまうと数時間後、浸潤麻酔が切れだして出血が徐々に始まります。下顎骨の内側には「顎窩隙」「舌下隙」「オトガイ窩隙」など筋隙が存在するため、血液は隙に溜まり出血をしていることにすぐには気がつかないかもしれません。しかし、時間が経つにつれて次第に出血が筋隙に溜まっていく、続いて血腫を形成し始めます。口腔底の舌下部にできる大きな血腫に気づくのは、相当時間が経ってからでしょう(図4-a,c)。その血腫が口腔内に限局するだけであれば比較的問題は少ないかもしれませんが、重力によって血液は下にさがるため咽頭にも血腫を形成します。その結果、血腫が気道閉塞を起こし(図4-b,d)、場合によって窒息に至らしめてしまいます。
 このような報告が、海外の論文で多数散見されます8,9)。日本語であれは古賀先生がご執筆された「インプラント外科学 偶発症編(クインテッセンス出版)、2007」)10)が非常によくまとめられているので、一度ご覧になることをお勧めします。

■ 術前に100%CT撮影をしてリスク回避

 「CT撮影はパノラマから症例を選んで撮影すればよい」そうお考えの先生方も多いのではないでしょうか。しかし、上記のパントモ画像から顎骨の陥凹形態が把握できて「CT撮影をしよう」と思われましたでしょうか。もし今回「そんな読影はできなかった」とお思いになられた先生は、是非、今後、術前のCT撮影を行ってください。明日、先生が手術を行う患者様がこのようなパントモでは判断できないような解剖学的なリスクをお持ちかもしれません。
 また、先生方の中には「コストも時間も手間も被曝もかかる上に、俺の臨床経験では過去に一度も事故はないのでCT撮影なんて要らない!」「1本や2本の埋入ならCT撮影は絶対に不要だ!」 そんなお気持ちの先生も多くいらっしゃると思います。しかし、このように滅多に遭遇しないことであっても、常に十分な配慮をすべきではないでしょうか。それがリスクマネージメント11)の考えだと思います。「毎日1往復飛行機に乗っていても、飛行機事故に遭遇するのは438年に1回である」といわれています12)。しかし飛行機事故が滅多に起こることはないからといって、「時間もコストもかかるので離陸前の点検なんかしないで早く飛んでくれ!」とお考えになる先生はいらっしゃらないはずです。また、インプラントの重篤な事故の発生は無歯顎症例では容易に想像ができます。しかし注目すべきは1本や2本の少数歯欠損で、手術が簡単と舐めてかかるためかその発生頻度は結構多いようです10)
 まとめますと、先生方にとって滅多にないリスクの確率であっても患者様の安全確保を第一に考えると、インプラントの術前には100%CT撮影すべきではないでしょうか。また、前述のように世界の3分の1もの医科用MSCTの存在するこの日本だからこそ、歯科用CBCTに手の届かない先生方であっても医科病院のCT13)を是非活用頂きたいと思います。

■最後に「歯科医師は名パイロット」

 先生方の中には「コンピュータに頼ることはよくない」とお思いになる先生も多いと思います。もちろんコンピュータを過信しすぎてはいけません。しかし、筆者はコンピュータ・テクノロジーを利用ができるのであれば、最大限利用すべきであると思っています。
 今や飛行機はコンピュータを使ったIT装置の塊だといえます。しかし、操縦をするパイロットは膨大なコンピュータに囲まれていてもコンピュータを過信することなく、搭乗している乗客の安全のためにコンピュータ・テクノロジーを最大限利用して最善の操縦を自分の技術ある手で行っているに違いありません。
 同じことが、インプラント治療にもいえるのではないでしょうか。診査である「CT撮影」、診断である「コンピュータシミュレーション」、さらには最近話題となっているコンピュータによる物作り(CAD・CAM)を利用した手術「ガイディッドサージェリー」についても、コンピュータ・テクノロジーを最大限に利用しつつ細心の注意を払って患者様に“安全”で“正確”で“確実”なインプラント治療をこれからの時代では行うべきではないでしょうか。

■参考文献:
1)歯科IT研究会, インプラント後の神経麻痺で約670万円の賠償命令(名古屋地裁平成15年7月11日)
http://dscyoffice.net/office/public/hanrei/index.htm
2)医療動向ウォチング,H15.7.11 名古屋地方裁判所 平成11年 損害賠償事件
http://homepage3.nifty.com/medio/watching/hanrei/150711.htm
3)御器谷法律事務所,インプラント
http://www.mikiya.gr.jp/Implant.html
4)CT撮影プロトコル,株式会社アイキャットホームページ,http://www.icatcorp.jp/ct_hospital/protocol.html
5) 高野雅典、#067 日本はCT保有台数が世界一 1, http://122.200.201.84/column/masanori_takano/20051024.html、 2005-10-24.
6)新エネルギー・産業技術総合開発機構 技術評価委員会, 「高速コーンビーム3次元X線CT」事後評価報告書
http://www.nedo.go.jp/iinkai/hyouka/houkoku/14h/35.pdf#search='CT%20%E6%A4%9C%E5%87%BA%E5%99%A8', 2003.2月.
7) 医療施設(静態・動態)調査・病院 (6)設備等の状況 1) 医療機器の設置状況, 厚生労働省大臣官房統計情報部 人口動態・保健統計課 保健統計室, http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/05/kekka1-3.html , 2005.
8) Woo et al, Floor of mouth haemorrage and lifethreatening airway obstruction during immediate implant placement in the anterior mandibke, Int J Oral Maxillofac Surg, 35, 96-964, 2006.
9) Joseph Niamtsu Ⅲ, Near-fatal airway obstruction after routine implant placement, Oral Surg Oral Med Oral Pathol, 92(6),597-600, Mar 29, 2001. 
10)古賀剛人,科学的根拠から学ぶインプラント外科学 偶発症編, p.32~50, クインテッセンス出版, 2007.10.10.
11) リスクマネージメントマニュアル作成指針、厚生労働省、http://www1.mhlw.go.jp/topics/sisin/tp1102-1_12.html
12) 秋元俊二, 数字に見る航空機事故の確率,http://allabout.co.jp/travel/airplane/closeup/CU20010716A/index.htm, 2001年7月16日.
13) CT撮影病院検索,株式会社アイキャットホームページ,http://www.icatcorp.jp/ct_hospital/map_icat.html

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